幸せのヒントはかつての時代にある?

高度成長期の時代。社会は成長を早く求めるあまり、公害男尊女卑ブラック企業パワハラといった弊害と呼ぶべきものを生んでしまいました。

成長と引き換えに失ったものが、僕たち後の時代の人々を、長く苦しめる負の遺産となったことは周知の事実です。

格差が広がってきたと唱える人々もいますが、どんな時代にも格差があったと言えます。
皆が幸せな日々を暮らすことはできないのでしょうか。


何故自死を選ぶ。

暮らしやすい社会を創ってきたはずなのに、自らを苦しめる道を選んできたのが、これまでの時代です。
日本は着実に自殺者の数を年々増やしてきました。

自殺者を生む要因は様々ありますが、大きく枠組んで言うと、自分を押し込めるような窮屈さによる生き辛さが、この先もずっと続く。っということに耐えられないからなのではないか。と感じます。

マラソンでも、終わりがあるからこそ、走りきれます。

他の国は?

これまで日本が特に自殺率の高さが問題視されていました。
しかし、近年では、諸外国でも自殺率は増加しています。特にアメリカのティーンエージャーを中心に自殺が増えてしまっています。

物質的な欲求が満たされはじめ、精神的なものが求められる時代になってきたからこその、減少とも言えるかもしれません。

辛さの原因が手軽に手に入るようになってしまった。

辛さの原因を挙げればキリがありません。

・人間関係を築けない
・人の意見に押しつぶされる(SNSを含む)
・「〇〇であるべき」論
etc.

これらの原因が、スマートフォンにより、誰もが簡単に手に入るようになってしまいました。
時代の進化が進めば進む程、自死を選んだり、突発的な巻き込み事件を起こす者が増えてきています。

これらを解決することはできないのか。
自分なりに考えました。

死を選択肢に入れない生き方とは?

かつての狩猟時代にも、自死を選ぶことはあったのだろうか。

僕は、今よりは比率的には少なかったのではないかと思っています。

人の数も少なかったので、それぞれが自分の仕事を持っていたからです。
他人や家族から必要とされていたし、自分の役割を全うしようとしていると、そういう気持ちもきっとおこらなかったのではないでしょうか。

1人1人の存在が重要で、コミュニティのバランスが保てていたと言えます。

それぞれが何屋さんだった時代

1人1人が、身近なコミュニティで、「何屋さん」として、重要視されたいたのが、昭和初期頃まではあったのではないでしょうか。
この、個人(もしくは家族単位)を大切にしていた時代に、先の問題を解決するヒントがある気がしています。

個人の時代が来た。というよりは戻ってきた?

2022年現在、個人がスマートフォンで商売をするのは難しくない時代になりました。
これからは、益々その働き方の改革は進むように思います。
僕は、会社経営をしてきた中で、今まさに思うのは、ITと人情という掛け合わせが非常に重要なのではないかと感じています。

少額のお金と、テクノロジーを進化しつつ、かつての時代の人情を取り戻す時代です。
競争ではなく共存と言えば、聞き慣れた言葉かもしれません。

このインターネット社会では、情報弱者よりもっと怖いのが、共存弱者であるとも言われています。

1人で生きるという選択肢ももちろん良いとは思いますが、自分が好きなコミュニティに属して、そこでの役割を持つ。という生き方は、心を助けてくれるものになるのではないでしょうか。

日本独自の成長ができればおもしろい。

今、現在は、日本は、諸外国に比べ、発展が遅れていると声が上がっています。
確かにそう感じることもあります。
ただ、日本人に合った、前に進む方法はきっとあると思います。

それがまだ、ガッチリと当てはめられていないと信じたい。
まだ教育を受け入れられる心の準備ができていないのだと…。
きっと、納得できる進化の道に進めるはずだと思いたい。

この先、どれだけの時間がかかるかは分からないし、機会がつかめるかもまだ分からないです。ただ、僕たちが受けたような、戦後から発展してこなかった教育は、絶対に変えたいです。

「アルファ世代」と呼ばれる世代の、次世代くらいには、学校を卒業する頃には、自分で好きな生き方を選べる社会になっていて欲しいと願っています。
日々

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